「人形師が後ろめたいとき」(東野芳明)

ーー「みづゑ」1974年2月号(通巻827号)よりーー

 1974年2月、美術雑誌「みづゑ」(美術出版社)のアート談義という企画のなかで、美術評論家・東野芳明氏は自身の文章、四谷シモンとの対談、篠山紀信氏の写真を交互にはさんで「人形師が後ろめたいとき」という記事を構成しています。記事の内容は、前年10月に青木画廊(東京・銀座)で開かれた四谷シモンの最初の個展「未来と過去のイヴ」を軸にしたもので、こうした東野氏の推挙もあって、「未来と過去のイヴ」は同年5月に東京都美術館で開催される第11回日本国際美術展(東京ビエンナーレ)の招待作品となります。個展「未来と過去のイヴ」開催当時、この展覧会および四谷シモンの作品がどのように受けとめられたのかを知るための資料として、以下、「人形師が後ろめたいとき」の一部を再掲し紹介します。



 昨年末、青木画廊での四谷シモン「過去と未来のイヴ」展(引用者註:覧会名の表記は原文のママ)に、はりつめていたあの空気は、なんだったのだろう。狭い会場一杯に、十数体の人形が、ガラス箱に入れられて、びっしりと並んでいたのだが、どれも、乳房をむき出し、下へのびた手をつっぱらせ、指先は電流が通っているように刺激的であり、髪の毛は熾のように豪奢になだれ落ち、真赤なハイヒールの靴先は歯をつき出したように鋭く、孤独の唯一の粉飾であるストッキングとコルセットの黒が肉にくい込んでいる。そして、会場では取り除かれていたが、陰毛のあえかな柔らかさは、春の若草のように眼に沁みる。
 しかも、あの顔の表情はどうだろう。似通っていながら一体、一体の表情が微妙に激しく変ってゆき、つり上った眼と眉の曲線が鼻梁で受けとめられた下には、真赤な唇がぴたりと閉ざされて、淫欲を凍らせ、噛みくだいてしまったように見える。
 このイヴたちには、生身の人間のもっている、生きてゆくために必要な、無駄な空白といったものがまるっきり欠けている。生きてゆくということには、ずい分と猥雑でしんどくて無意味な行為や時間がいっぱいにつまっているのだが、このイヴたちは、なにか、ひとつの詩の高まりが、白昼の光の只中で、突然、中断され、停止し、そのまま、凝固してしまったようで、まっすぐにこちらの内側へとび込んでくる彼女たちの金属質な視線に、ぼくらはながいこと耐えていくことが出来そうにもない。
 身体中を、ひとつの暗冥な詩で充電され、つっぱらせ、一直線にこちらに挑んでくる、あの攻撃的な表情は、生身の人間に向けられた、死と愛との境界線からのメッセージである。射精直前に抑制され、中断されたままの陽根のもつ、不毛の攻撃性が、ここでは、つるつるのラッカーの肉の中で無惨に花開き、あてどなく飛散してゆく。その、屹立し、張りつめ、抑制と爆発が競い合っている頂点の表情には、ぼくには分らないが、本当の悲しみ、淋しさ、孤独を最初から知っている人間だけにおそらく分ると思われる、うつろな風が吹き抜けているようだ。キンキラキンに張りつめながら、ちょっとさわれば、崩れ落ちてしまう、肉の偽金属の塊り。

東野 今度の個展でぼくの好きだったのは、言葉ではなかなかいえないけど、なんかすごく攻撃的でしょう。人形全体が、顔でも、体でもピーンと張っていて、いわば体じゅうがペニスみたいに、つっ立っているという感じがあるよね。全体が、すごくかみつかれるみたいで、そのくせ、実はうしろにまわったら、カラッポだというようなーーなんというのかな、キーンとしていて、攻撃性みたいなものがすごくあるけれども、実はまったくヘナヘナとしていて…。
 そういう点、ああいうふうに、一見同じようだけれども、御一体、御一体、ずいぶんちがいますよね。次々と見ていくと、後ろへ引いたり、前へ出てきたりして、あれをガラスの箱に入れたのは、とくに強い意図はあったの?
シモン 結局、ものごとを一枚遮断して見たときのものと、それから人形なんかゴロンと転がしたときのものと、両方好きなんだけれども、だけれども汚れちゃうんですよ。要するにさわられて汚れるということがぼくにとっては耐えられないわけなの。
東野 汚れるのがいやだというのは、一般的な意味より、もっと生のままにしたいという感じがあるわけでしょう。
シモン ケースのなかとか、ああいうものにずっとおくと、出来上がった瞬間から、外気というか、外のものとぜんぜん関係ないわけよ。その箱の中は箱の中だけで、出来た瞬間からズーッとそのまま永続するというか、ただ、表に出しておくと、ちょっと優しいって感じがするじゃない、そういうのって、だから、なんでケースに入れるのかということがあったんだけれども、絵だって額ぶちに入れているものもあるし、と思ったわけですよ。それくらいかな。(後略)

 澁澤龍彦はシモンの個展によせた文章の中で、「かつてギリシア彫刻の大理石は、その衣服、髪の毛、装身具などに鮮明な色が塗ってあったという。私はひそかに空想するが、それは当時のひとびとにとって、彫像とか芸術品とかいうよりも、まず第一に人形だったのではあるまいか」と書いているが、意表をついた卓見だろう。造形だとか、空間感覚だとか称して、人間の肉体をもっぱら、薪かなんかのように、ボソッとしたものとして見はじめたのが、近代に発生した「彫刻」という概念のはじまりであり、ギリシア「彫刻」という考えにしても、その近代的彫刻概念を、古代の「人形」に逆照射したものにほかならない。いわば、こういう、人間の暗冥な、胡散くさい部分をとり去ったのが、人体彫刻という芸術の正道だとすれば、人形師たちは、うしろめたい想いを抱きながら、彫刻家が切りすててしまった胡散くさい部分を頑迷に守りつづけてきた、夜の住人だといってよい。人形と彫像。そこには胡散くさい闇の世界と、まっさらな昼の世界との対立がある。

東野 なんか、君の「イヴ」は人形の人形という感じのほうが強いね。人形というのは人間に対してあるわけでしょう。その人形のまた人形を作っているというような。
シモン 難しいね。
東野 いや、嘘の嘘みたいなことよ。よく人形愛とか、いろいろみんないうでしょう。あなただってそういうふうにいわれるんだろうけれども、そういう直接の人間対人形というような人形じゃなくて、人形というのがすでに君のなかにあって、それに対する人形を作っているというか。
シモン よく分るな。いろいろいわれるけれど、ぼくは人形を作っている側の人間なわけよ。それが文章に書かれたような溺愛するような人形とか、擬人化してその人形を徹底的に愛してしまうというような、ある種のロマンみたいな意識、それはときたま、とてもかわいいものに対してとか、他人の作ったものなんかに関しては、少しはあるわけ。だけれども、一年のうちに何回くるかわからないくらい少ないわけ。あとはやはりどういうものを作ろうかということしか考えられないから、要するに違うのね。作る側と、それを客観的に見る側と、ぜんぜん違うわけなんですよ。どういうんだろうね。なんかあるんでしょうね。病気みたいなことが。要するにコンプレックスみたいなもの。(後略)  

【東野芳明氏プロフィール】
1930年東京生まれ。東京大学文学部卒業。54年第一回美術評論新人賞受賞。57年に処女評論集「グロッタの画家」(美術出版社)を公刊、以後、シュールレアリスム、現代絵画を中心に批評活動を続ける。ジャスパー・ジョーンズら内外の同時代アーチストとの深い親交も有名。日本現代美術界のオピニオン・リーダーの役割を果たした。著書に「マルセル・デュシャン」(美術出版社、1977年)、「ジャスパー・ジョーンズ、そして/あるいは」(美術出版社、1979年)、「裏切られた眼差ーーレオナルドからウォーホールへ」(朝日出版社、1980年)、「曖昧な水 レオナルド・アリス・ビートルズ」(現代企画室、1980年)、「つくり手たちとの時間 現代芸術の冒険」(岩波書店、1984年)など。

註) このページで紹介している文章および対談の一部は、「あの頃は、『作ル前ニ作ラレタ人形』『書ク前ニ印刷サレ、発表サレタ評論』という考えは強く表には出ていなかったのですが、よく読むとその片鱗が見えないでもない」として、四谷シモンの作品集『四谷シモン 人形愛』(美術出版社、1985年)に東野氏が寄稿した文章「シモンへの短信」でも東野氏自身によって引用・紹介されています。





未来と過去のイヴ