四谷シモン――プロフィール

1944――昭和19年(0歳)
7月12日、東京・五反田の田谷病院で誕生。父・小林兼治郎、母・都多世の長男。兼光と命名される。父はタンゴの楽師、母は石井漠門下のダンサーという芸能一家だった。父の出身は秋田県という以外は不明。母方の先祖には熊本藩士・荘村助右衛門がいる。
1947――昭和22年(3歳)
弟・兼人(後の写真家・渡辺兼人)生まれる。
1949――昭和24年(5歳)
父のみやげで人形と出会う。
1953――昭和28年(9歳)
母が家を出、父、弟と3人暮らしになる。
1954――昭和29年(10歳)
母に会いたくなり、弟を連れて家を出て、そのまま根津八重垣町の母のもとに住みつく。
この頃、紙粘土で東映映画『笛吹童子』に出てくるしゃれこうべのお面をつくる。
1956――昭和31年(12歳)
この頃、粘土やぬいぐるみの人形を作りはじめる。
母の使いで、北池袋に住む父に会いに行く。これが父と会った最後となる。
1957――昭和32年(13歳)
北区立王子中学校入学。
人形作家・坂内俊美の下でアルバイトをはじめ、ぬいぐるみの技法などを教わる。
1958――昭和33年(14歳)
母が渡辺勝径と再婚、原宿に転居し、弟・兼人、渡辺の娘・時子を入れた5人暮らしがはじまる。
霞町(西麻布)のアトリエに人形作家・川崎プッペを訪ねる。
渋谷区立外苑中学校に転入。
1959――昭和34年(15歳)
外苑中学校卒業。
自由が丘の鮨屋でアルバイト。自由が丘の洋品店に置いた人形が売れる。
1960――昭和35年(16歳)
ぬいぐるみ人形作家・水上雄次の内弟子となる。
1962――昭和37年(18歳)
新宿のジャズ喫茶に出入りして、金子國義、コシノジュンコらを知る。ジャズの女性歌手ニーナ・シモンが好きだったことから、シモンが通り名となる。
水上雄次の勧めで現代人形美術展(朝日新聞社主催)にぬいぐるみ<希望>を出展し、初出展で入選する。
1965――昭和40年(21歳)
春、大岡山の古本屋で宇野亞喜良表紙の雑誌『新婦人』に遭遇。そのなかではじめてハンス・ベルメールの人形の写真を見、強い衝撃を受ける。雑誌を見てすぐに部屋に帰り、部屋にあった人形と材料をすべて捨てる(その記事「女の王国」は澁澤龍彦が執筆)。
11月、金子國義に誘われて土方巽の暗黒舞踏「バラ色ダンス」を見る。
1967――昭和42年(23歳)
1月、金子國義に誘われて北鎌倉に澁澤龍彦を訪ねる(最初の訪問)。
2月、東京・京橋の南天子画廊にハンス・ベルメール展を見にいく。
2月、新宿のジャズ喫茶「ピット・イン」ではじめて状況劇場公演を見る(「時夜無銀髪風人<ジョン・シルバー>」)。その楽屋で金子國義から唐十郎を紹介され、初対面の唐十郎のヘア・ピンの量に圧倒され、好意を抱く。
5月、草月会館の「ジョン・シルバー新宿恋しや夜鳴篇」で、女形として金子國義と共演。小林紫紋を名乗る。この楽屋で 澁澤龍彦と会う。
9月、金子國義個展のオープニングで澁澤龍彦に自作の人形の写真を見てもらう。
11月、渋谷の東急百貨店本店開店キャンペーンの一環としてディスプレイ用人形を7体制作。
雑誌『婦人公論』(68年1月号)に「人形とぼくとの共同生活」を寄稿。
12月、東急百貨店の人形制作で得た収入で初のパリ旅行(このために戸籍抄本をとりよせ、父の死を知る)。パリではアンティーク・ドールを買ったり、高田賢三を訪ねたりする。
1968――昭和43年(24歳)
3月―6月、新宿・花園神社の状況劇場・紅テント公演「由比正雪」に出演。<四谷シモン>の芸名を名乗る。この公演中、状況劇場のメンバーとともに、大島渚監督のセミ・ドキュメンタリー映画『新宿泥棒日記』に端役として出演。
5月、雑誌『芸術生活』5月号に「ブティックの前衛マネキン」として東急百貨店本店のディスプレイ用人形が紹介される。
9月、雑誌『プレイボーイ』で白石かずこと対談。
この頃、瀧口修造、吉岡実、種村季弘らを知る。
1969――昭和44年(25歳)
1月〜3月、新宿西口公園および三光パーク・トラック劇場の状況劇場公演「腰巻お仙振袖火事」に出演。新宿西口公園での公演は、無許可公演として機動隊が出動する騒動となり、唐らが逮捕される。
2月、大島渚監督『新宿泥棒日記』、アートシアター系で公開。
7月、吉岡実のすすめで日記を書く。
8月、この頃から翌年にかけて、万国博覧会「せんい館」の依頼をうけ<ルネ・マグリットの男>を制作。
12月、渋谷金王八幡宮の状況劇場公演「少女都市」に出演。「少女都市」公演中に寺山修司の天井桟敷と状況劇場が 乱闘騒ぎを起こし、渋谷署に2晩留置される。
1970――昭和45年(26歳)
2月、雑誌『太陽』の特集「世界の人形」(編集:嵐山光三郎)にとりあげられる。
3月、大阪で万国博覧会(Expo'70)開会、「せんい館」で<ルネ・マグリットの男>を発表。
状況劇場公演「ボタンヌ袋小路」(3月)、「愛のリサイタル」(5月)、「ジョン・シルバー愛乞食篇」(8月)に出演。
10月、雑誌『季刊FILM』に沢渡朔がシモンをモデルにした写真を発表。加藤郁乎が「アンファン・テリブルな写真家と役者」というエッセーを寄稿。
1971――昭和46年(27歳)
4月〜5月、状況劇場公演「吸血姫(きゅうけつき)」に出演。劇中で前年発表した人形<ルネ・マグリットの男>が使われる。
5月、雑誌『問題小説』に「わが青春期・僕の君の名は日記」を寄稿。
7月、『黒の手帖』(檸檬社)<特集・天国と地獄>の表紙に少女の人形が掲載される。
8月、細江英公がシモンをモデルにした写真「四谷シモンのプレリュード(ある私風景)」を雑誌『季刊写真映像』に発表。この折に撮影した写真をもとに、私家版写真集『四谷シモンのプレリュード』を刊行(序文:加藤郁乎)。
10月、状況劇場公演「あれからのジョン・シルバー」に出演。 これが現役としては状況劇場最後の舞台となる。
1972――昭和47年(28歳)
ほぼ等身大の人形<ドイツの少年>をつくる。
2月、新宿・紀伊国屋画廊で、<ドイツの少年>を中心にして、朝倉俊博、有田泰而、石元泰博、加納典明、沢渡朔、篠山紀信、十文字美信、細江英公、宮崎皓一、森田一朗の若手写真家10人が撮影したシモンの肖像写真をならべた展覧会「10人の写真家による被写体四谷シモン展ーー引力のまたたき」を開く。この展覧会を特集した雑誌記事に澁澤龍彦が「変身する四谷シモン」という短文を寄稿。
雑誌『芸術生活』で、種村季弘が「サン・シモンの反肖像」と題して同展覧会を取り上げる。雑誌『週刊朝日』が「四谷シモンの奇怪な魅力」として同展覧会を取り上げる。また、篠山紀信が<ドイツの少年>を撮影し、その写真が雑誌『アサヒカメラ』の表紙となる。
5月、雑誌『婦人公論』で金子國義と対談。
1973――昭和48年(29歳)
2月、「唐十郎・四角いジャングルで唄う」(後楽園ホール)に出演。
3月、雑誌『週刊ポスト』に「謎の人形師」として取り上げられる。
雑誌『別冊新評』秋号・澁澤龍彦の世界(新評社)で中田耕治、種村季弘、高橋たか子と対談。
10月、雑誌『暮しの設計』10月号で「秋の夜長にポルノを語るーー湿った畳とポップコーン」として吉行淳之介と対談。
10月、銀座・青木画廊で第1回個展。澁澤龍彦から寄せられたオマージュにちなみ、個展のタイトルを「未来と過去のイヴ」とし、等身大の人形<未来と過去のイヴ>12体を陳列して完売する。
11月、<未来と過去のイヴ>が雑誌『芸術生活』人形愛特集の表紙となり、同号に瀧口修造、池田満寿夫が文章を寄稿。
12月、浅川マキコンサート(新宿文化)にゲスト出演。
1974――昭和49年(30歳)
2月、雑誌『みづゑ』2月号(美術出版社)の「アート談義」で「人形師が後ろめたいとき」と題し、東野芳明が「未来と過去のイヴ」展への自身の印象と四谷シモンとの対談を組み合わせた文章を発表。
5月、<未来と過去のイヴ>が、東京都美術館で開催の第11回日本国際美術展(東京ビエンナーレ)の招待作品となる(同展は6月に京都市美術館へ巡回)。
雑誌『別冊新評』秋号・唐十郎の世界(新評社)に「親友、唐十郎への手紙」を寄稿。
72年の紀伊国屋画廊での展覧会などを企画した鶴本正三の仕事(アンティック・リプロダクション)を手伝い、海外・国内を旅行。
1975――昭和50年(31歳)
1月、エッセー集『シモンのシモン』(イザラ書房)出版。
3月、「日本洋画商協同組合展・春の祭典」(日本橋三越)に<慎み深さのない人形>を出展。
横尾忠則と鶴見・総持寺で参禅。
1976――昭和51年(32歳)
5月、唐十郎編集の雑誌『月下の一群』創刊号にピエール・モリニエの写真をセレクトした「つつしもぶかさのないことについて」を掲載。
西麻布に移る。移転先は、奇しくも、かつて向田邦子が住んでいたマンションである。
1977――昭和52年(33歳)
アメリカに住みたくなり、ロサンゼルス、ニューヨークを訪問。すぐに帰国。
1978――昭和53年(34歳)
3月、原宿に人形学校「エコール・ド・シモン」開校。
7月、西武百貨店内の書店・話の特集の依頼で、「人形をめぐる本100冊」を選ぶ。
8月、雑誌『ハイファッション』 8月号の人形作家特集に取り上げられる。
10月、パリの装飾美術館で開催された「間--日本の時空展」に禅宗の雲水の人形を出品。同展は哲学者ロラン・バルト、ミッシェル・フーコーらが訪れ評判となる。
10月、2冊目のエッセー集『機械仕掛の神』(イザラ書房)出版。
1979――昭和54年(35歳)
7月、瀧口修造死去。追悼冊子『余白に書く』(みすず書房)に、<機械仕掛の少女>発表。
1980――昭和55年(36歳)
12月、青木画廊で第2回個展。澁澤龍彦から新たに寄せられたオマージュにちなみ、個展のタイトルを「機械仕掛の少年」とする。陳列した6体のうち3体が、荒木博志の協力を得た自動人形。
1981――昭和56年(37歳)
2月、紀伊国屋画廊で「第1回エコール・ド・シモン展」。
1982――昭和57年(38歳)
3月、青木画廊で個展「ラムール・ラムール」。
7月、富山県立近代美術館の「瀧口修造と戦後美術」に<機械仕掛の少年>と<木枠で出来た少女>を出品。
1983――昭和58年(39歳)
1月、東京国立近代美術館ニュース『現代の眼』に「ウィリアム・ドゥ・グーヴ=ド=ヌンクの血の沼について」を寄稿。
2月、紀伊国屋画廊で「第2回エコール・ド・シモン展」(以後、毎年開催)。
2月、唐十郎の芥川賞受賞を記念したTBS「すばらしき仲間〜やったぜ芥川賞」に友情出演。
3月、唐十郎とパリへ行く。この時にパリで食べた鰯が原因でアメーバー性肝膿瘍を患う
4月、雑誌『芸術新潮』400号記念特大号「日本の百宝」に<機械仕掛の少年>が掲載される。
10月、青木画廊で個展「解剖学の少年」開催。
1984――昭和59年(40歳)
2月、日本テレビ「四谷シモン/美の世界」放映。
4月、フランスの人形専門誌『Polichinelle』に「日本のピグマリオン」と紹介される。
4月〜5月、唐十郎の依頼で、13年振りに状況劇場の「あるタップ・ダンサーの物語」に出演。
12月 、やまもと寛斎のショー「元気主義」(会場:後楽園球場特設大テント)に出演。
1985――昭和60年(41歳)
3月〜10月、脚本家・中島丈博の推薦で、NHK大河ドラマ「春の波涛」にレギュラー出演。
6月、澁澤龍彦の監修で、初の作品集『四谷シモン 人形愛』(美術出版社)刊行。
9月、テレビ朝日「料理バンザイ」に女優・江波杏子とゲスト出演。
1986――昭和61年(42歳)
1月、久世光彦演出のTBSテレビドラマ、向田邦子新春スペシャル「女の人差し指」に出演。以後、準レギュラーとして久世の向田ドラマに連続出演。
2月、「人形工芸――昭和期を中心にして」(東京国立近代美術館工芸館)に<機械仕掛の少年2>を出品。
3月、アートスペース美蕾樹発行の冊子『ピエール・モリニエ』で巖谷國士と対談。
11月、雑誌『文藝春秋』連載の「裸婦の中の裸婦」に、巖谷國士が「美少年としての女」を執筆し、澁澤龍彦所蔵の<少女の人形>をとりあげる。これは、当初澁澤龍彦自身が執筆予定だったが、病気のため巖谷國士に引き継がれた企画。
1987――昭和62年(43歳)
8月、若い時から思想的に大きく触発され、またかずかずのオマージュを捧げられた澁澤龍彦死去。精神的な支柱を失った感じで、創作が手につかなくなる。
10月、雑誌『文学界』に弔辞「天使になった澁澤さんに…」を寄稿。
10月、松竹・関西テレビ制作のドラマ「女と男」(横山博人監督、樋口可南子主演)に出演。
1988――昭和63年(44歳)
6月、雑誌『ユリイカ』の増刊号「総特集・澁澤龍彦」に「五月の澁澤さんに」を寄稿。
1989――昭和64年/平成元年(45歳)
7月、「美術の国の人形たち」(宮城県美術館)に<木枠で出来た少女1><解剖学の少年>など5作品を出品。
10月、松竹映画『キッチン』(森田芳光監督/吉本ばなな原作)に出演。
11月、日本テレビ「11PM」の特集<人形たちのあやしい夜>に出演。
1990――平成2年(46歳)
9月、澁澤龍彦の遺作『高丘親王航海記』の故地がみたくなり、巖谷國士夫妻とともに中国旅行。広州、雲南を訪ねる。
10月、澁澤龍彦全集月報用に巖谷國士と対談(「兄の力」)。
1991――平成3年(47歳)
6月、 雑誌『VISIO――mono』にエコール・ド・シモンが取り上げられる。
10月、雑誌『幻想文学』32号(特集・人形綺譚)に、インタビュー「ふわり、冷ややかな、幽霊のような人形を」が掲載される。
1992――平成4年(48歳)
1月、「所蔵作品展」(徳島県立近代美術館)に出品。
4月、テレビ東京「私の交遊抄」で江波杏子と共演。
10月、開館10周年記念展「アダムとイヴ」(埼玉県立近代美術館)に<機械仕掛の少年1><少女の人形>を出品。
1993――平成5年(49歳)
5月、NHK「きょうの料理――男の食彩」に出演。山椒地鶏鍋を披露。
6月、雑誌『BRUTUS』に篠山紀信が連載する「人間関係」で、<静かな友情>として、中沢新一とモデルをつとめる。
7月、雑誌『Do Live』の<The Leader>コーナーに取り上げられる。この企画で嵐山光三郎と対談。
7月、雑誌『パンプキン』に「僕の実行しているエコロジー」を寄稿。
1994――平成6年(50歳)
2月、「20世紀の人間像―4 現在との対話」(徳島県立近代美術館)に出品。
4月、「KARADAがARTになるとき」(板橋区立美術館)に<解剖学の少年>を出品。
5月、巡回展「人形芸術の世界――夢二から現代へ――」(主催:日本経済新聞社)に出品。
7月、NHK「日曜美術館」<幻想の王国――澁澤龍彦の世界>に案内役として出演。
この1年間、雑誌「ユリイカ」の表紙を担当。
1996――平成8年(52歳)
「ひとがた・カラクリ・ロボット展」(O美術館)に<機械仕掛の少年1><機械仕掛の少女1>など5作品を出品。
1997――平成9年(53歳)
11月、日本の名随筆・別巻81『人形』(作品社)を編集・出版。
1998――平成10年(54歳)
7月、「種村季弘<奇想の展覧会>実物大」(画廊春秋)に出品。
8月、NHK「土曜美の朝」が四谷シモンを特集。
10月、篠山紀信撮影の写真集「NARCISSISME 四谷シモン」(佐野画廊・書肆山田)刊行。
1999――平成11年(55歳)
1月、「種村季弘<奇想の展覧会>実物大 Part U」(中京大学)に出品。
2月、『種村季弘のネオ・ラビリントス』第7巻にゲストエッセイ「湯舟のなかの布袋さん」を寄稿。
8月、雑誌『太陽』8月号特集「人形愛」でとりあげられる。
12月、雑誌『月刊美術』<世紀末エロス1999>巻頭で取り上げられる。また、同特集で植島啓司と対談。
2000――平成12年(56歳)
6月、大分市美術館を皮切りに、全国5カ所の美術館で大規模な回顧展「四谷シモンーー人形愛」開催。
10月、磯崎新企画の「間--20年後の帰還」展(東京芸術大学美術館)に出品。
2001――平成13年(57歳)
2月、高知県立美術館に、旧友・合田佐和子の展覧会を応援に行く。
2月、昭和61年の「女の人差し指」以来準レギュラーとして出演していたTBSの ドラマ向田邦子新春スペシャルが終了する。最後のドラマ「風立ちぬ」に医師役で出演。
5月、全国で約75,000人の観客を集め、「四谷シモンーー人形愛」展が終了。
7月、パリ旅行。状況劇場時代の親友で画家として活躍する大月雄ニ郎らに会う。
10月、手持ちの人形を四国・伊予三島市にオープンした「病院ギャラリー」に展示。
11月、アート情報マガジン『ヒッティ』(メディアプロダクション)が四谷シモンを特集。
12月、京都、奈良(興福寺)、四国(病院ギャラリー)でNHK「美と出会う」ロケ。
2002――平成14年(58歳)
1月、NHK「美と出会う」が「聖なる顔を求めて」のタイトルで四谷シモンの活動を全国で放送。
5月、『文藝別冊/総特集・澁澤龍彦〜ユートピアふたたび』(河出書房新社)の巻頭で桑原茂夫のインタビューを受ける。
7月、 CS放送(スカイパーフェクTV)で、特集番組「人形黙示録〜人形作家・四谷シモンの世界〜」放送。
8月、「JADE2002土方メモリアル」で、元藤あき子(土方巽未亡人)、唐十郎と鼎談。
11月、NHK「美と出会う――細江英公特集(記憶を記録する)」に被写体として出演。
11月、半生記『人形作家』(講談社現代新書)刊行。
11月、赤坂desperaで『人形作家』サイン会。
12月、嵐山光三郎、江波杏子、金子國義、唐十郎、久世光彦、コシノジュンコ、篠山紀信が発起人となり、新宿・陶玄房で『人形作家』出版記念会。
2003――平成15年(59歳)
1月、文化放送のラジオ番組「吉田照美のやる気MANMAN」にゲスト出演。
2月、東京国立近代美術館ニュース『現代の眼』(538号)で「私の人形史」を語る。
2月、フードピア金沢2003の「食談」ゲストとして<食>を語る(於:金沢市・浅田屋)。
2月、久世光彦演出のテレビ・ドラマ「センセイの鞄」(原作・川上弘美)に出演(WOWOW)。
3月、東京国立近代美術館工芸館で開催された「今日の人形芸術ーー想念の造形」展に5点の人形を出品。同展は東京のあと、全国4カ所の美術館を巡回。
6月、NHKラジオ番組「わくわくラジオ」に出演。青春時代を語る。
7月、NHKテレビ番組「人形の宇宙・ヒトガタに込められた思い」で作品が紹介される。また自身もに出演して人形への思いを語る。
9月、「病院ギャラリー」(伊予三島市)での作品展示を終了。
10月、雑誌『美術手帖』10月号(美術出版社)の<特集・新しい身体と彫刻の美学>でマリオ・Aと対談。
11月、写真集『病院ギャラリー717DAYS 2001-2003』(心泉社)を刊行。
12月、作品<男>がアニメ映画『イノセンス』のキャラクター、キムのモデルとなる。これを機に映画監督・押井守と対談(この対談は、2004年3月発売の押井守著『イノセンス創作ノート 人形・建築・身体の旅+対談』<徳間書店>に収載)。
2004――平成16年(60歳)
1月、久世光彦演出のテレビ・ドラマ「向田邦子の恋文」に出演(TBS)。
1月、パリ市立アル・サン・ピエール美術館の「人形 POUPEES」展に4点の人形を出品。四谷シモンの作品は展覧会全体のポスターにも取り上げられる。この展覧会のオープニングに出席するためパリ訪問。
2月、東京都現代美術館で開催の「球体関節人形展(Dolls of Innocence)」(押井守監修)に<男>など11点の人形を出品。ヨミウリ・オン・ラインに同展オープニングに際してのインタビュー記事掲載。
3月、読売新聞別刷「Zip Zap」に<木枠で出来た少女3>をつかった全面広告が掲載される。
3月、東京新聞夕刊「名流」面に「前衛に根付く伝統の心」として取り上げられる。
7月、坂出市に「四谷シモン人形館 淡翁荘」オープン。四谷シモンの作品を常設展示。
11月、中京大学アートギャラリーC・スクエアで開催の「封印された星ーー瀧口修造と日本のアーティストたち」展に出展。
12月、演劇「マダラ姫」公演のパンフレット用に主演の佐野史郎と対談。
12月、東京近代美術館工芸館の所蔵作品展で<解剖学の少年>を展示。
2005――平成17年(61歳)
1月、雑誌『サライ』(小学館)新春号「サライブックレビュー」で、『さかしま』(ユイスマンス)、『食魔』(岡本かの子)について語る。
1月、久世光彦演出のテレビ・ドラマ「夏目家の食卓」に出演(TBS)。
3月、NHK『趣味悠々〜暮らしの中の茶』に、千宗室氏のゲストとして招かれ、お茶を賞味。
4月、英国のブライトン・ミュージアム・アンド・ギャラリーで開催の「人びとと人形」展に参加。
2006――平成18年(62歳)
4月、読売新聞の文化欄で四谷シモンの人形が取りあげられる。
5月、ラジオ局LOVE FMの「エラン・ヴィタール」に出演。
5月、銀座のスパンアートギャラリーでエコール・ド・シモン人形展。
6月、NHK新日曜美術館の異端の画家シリーズ「甲斐庄楠音」で、甲斐庄の手記を朗読。
7月、多摩美術大学のオープンキャンパスで小川千惠子を司会に講演。
9月、イタリアの人類学者マッシモ・カネヴァッチが、トゥカ劇場(ブラジル、サンパウロ市)の舞踏公演『砂男』(ホフマン原案)で、四谷シモンの人形パネルを使用。四谷シモンの人形作品がダンサー、シェイラ・リベイロとコラボレートする。
11月、フジテレビのドラマ『東京タワー』に出演。
12月、学習研究社からエッセー集『四谷シモン 前編ーー創作・随想・発言集成』刊行。
2007――平成19年(63歳)
1月、『新刊ニュース』2月号にエッセー執筆。
1−2月、朝日新聞「たいせつな本」にエッセーを執筆。
2月、地方紙にやなぎみわ氏による『四谷シモン 前編』の書評が掲載される(共同通信配信)。
2月、朝日新聞に中条省平氏による『四谷シモン 前編』の書評が掲載される。
2月、毎日新聞にインタビューが掲載される。
3月、同志社大学(京都)で「球体関節人形展ーー四谷シモンを中心に」開催、同展のシンポジウムで講演。
4月、『澁澤龍彦 幻想美術館』展に出展(埼玉県立近代美術館)。
4月、『澁澤龍彦 驚異の部屋』展に出展(ギャラリーTOM)。
4月、西麻布から池之端に転居。
6月、公明新聞に「澁澤龍彦さんの思い出」を執筆。
6月、四谷シモン作品を表紙にしたマッシモ・カネヴァッチ=リベイロの『Una stupita fatticita(しびれるような事実性)』がイタリアで刊行。このなかでカネヴァッチ=リベイロは、「Tokyo-in-body」のコンセプトで四谷シモンを分析する。
7月、日刊ゲンダイのコラム「私の人生を変えた1冊」で、澁澤龍彦『快楽主義の哲学』について語る。
7月、『ユリイカ』8月号(特集・澁澤龍彦 20年目の航海)に「天使の人形について」を寄稿。
7月、ヒストリーチャンネルが「時代の響き」で四谷シモンを特集。
8月、さまざまなゲストを招いたトーク・イベント、サロン・ド・シモンをはじめる。
10月、『<開館30周年記念展T>工芸館30年の歩み』(東京国立近代美術館工芸館)で、「解剖学の少年」展示(10月6日〜12月2日)。
10月、『澁澤龍彦 幻想美術館』展が横須賀美術館に巡回(10月6日〜11月11日)。
10月、『六本木クロッシング2007 未来への脈動』展(森美術館)に出展(10月13日〜1月14日)。
11月、NHK『知るを楽しむ 私のこだわり人物伝』〜澁澤龍彦に出演し、澁澤龍彦の思い出等を語る。
2008――平成20年(64歳)
3月、美術雑誌『Prints 21』(発行・プリンツ21)が四谷シモンを特集(2008年夏号)。
4月、『澁澤龍彦生誕80年回顧展』開催、澁澤家所蔵の四谷シモンの人形2点が出展される(神奈川近代文学館)。また、同展にて、「澁澤さんと人形」をテーマに講演と朗読を行う。
5月、ローマ大学マッシモ・カネヴァッチが来日し、四谷シモンの新作人形<PORTRAIT DE PETITE FILLE 2008>を舞台中央に据え『砂男』を公演(東京・西麻布Super-deluxe)。この公演では四谷シモンも最後に登場し、人形に扮したダンサーを動かす。
5月、『四谷シモン 人形とデッサン』展(5月12日〜31日、ギャラリーメスタージャ)。
12月、『机』(発行:アスペクト)にて、四谷シモンの仕事場と作業机が紹介される。
2009――平成21年(65歳)
5月、大腿骨折で入院。
6月、退院。
7月、美術解剖学会大会(於:東京芸術大学)で招待講演の予定。

如月(菅原多喜夫)編