南天子画廊のベルメール展

L'exposition des oeuvres de Bellmer a Galerie Nantenshi


 1967年2月6日〜18日まで、東京・京橋の南天子画廊で、ハンス・ベルメール展が開催され、四谷シモン(当時23歳)もこれを見ている。この当時の日本におけるベルメール受容はどのようなものであったのか、四谷シモンが見たベルメール作品はどのようなものであったのかを探る意味から、以下、この展覧会のパンフレット等から展覧会の概要を再構成してみたい。

【出品作品目録】
ペン画
 ・坐る女 Femme assise
石版画
 ・独りになる Decouplement
 ・擦り切れるまで Jusqu'a la corde
銅版画
 ・夜ひらくバラ Rose couverte la nuit
 ・頭足類 Cephalopode
 ・聖堂の女 La femme a la Cathedrale
 ・マダム・エドヴァルダ Madame Edwarda
 ・足蹴(マダム・エドヴァルダ) Coup de pied
 ・浴み(マダム・エドヴァルダ) Au bain
 ・マダム・エドヴァルダ Madame Edwarda
 ・豚 Le cochon
 ・サスペンス Suspens
 ・よこたわる女 La famme couchee

【作品解説】
 展覧会の作品解説は瀧口修造が執筆している。
 このなかで、瀧口はベルメールの伝記を次のように要約する。
 「ベルメールはまず特異な人形作者として知られていた。幼児のおもちゃ箱のなかで眼覚めたその人形は、ナチのドイツから逃れてフランスへ、やがて第二次大戦中は収容所生活からマキの仲間へと転々しながら育まれてきた数奇な歴史をもっている。デューラー時代の古い人形から暗示され、球形の腹部を中心に頭や四肢を自在に動かし、交換をも可能にするシステムが採用されてから、ベルメールの少女人形し時になまめかしい妖怪変化の相貌を呈した。こうしてデッサンでも女体のあらゆる曲面が類推と転位によって妖しいかぎりの慾望の秘密をひらくのである。」
 解説冒頭に記された瀧口によるベルメール作品の印象は次のようなもの。
 「索漠とした夕闇みの窓際に突然現われる半透明の女。その素姓は誰れにも自明なのだが、その千の姿態の未知な運命に立ち会いたいとわれわれが希求する女体のまぼろし。やがて幽霊のように消え去るべき影像なのに、それは鏡のなかの鮮烈な図形のようにふと蘇ってくる。消えやすく、永遠に消しがたい、傷つけられた姿見ーーハンス・ベルメールのデッサンに私はそのようなものを感じる。」
 そして、瀧口は次のように解説を結ぶ。
 「ハンス・ベルメールはいまだにパリのどこかに今日稀れな「呪われた画家」として隠れているのかと思われる。」
 ベルメールが提起した問題を感覚のなかで構成し直そうとする瀧口のこうしたとらえ方が、その後の日本のベルメール受容のなかにも色濃く残っていることは否定しがたい事実であろう。

【展覧会への言及】
 この展覧会については、1967年4月に澁澤龍彦が「痙攣する女性の美 ハンス・ベルメール個展」という展覧会評を「SD(スペース・デザイン)」誌に発表し、のちに「イメージの解剖学ーーふたたびベルメエル」と改題し、同年12月に刊行された「幻想の画廊から」(美術出版社)に収載している。この論考は、ベルメールの著作「イマージュの解剖学」を参照しながら展覧会で紹介された個々の作品を読み解いているものだが、瀧口修造と同じようにベルメール作品の表層分析から出発しながら、澁澤独自の視点をも記している点で興味深い。以下、「イメージの解剖学ーーふたたびベルメエル」のなかから、その核心をなすと考えられる部分を抜き出し、いささかの分析を加えてみる。
 「「脚の真似をする腕の快楽が、腕の役目を演ずる脚の快楽に匹敵するかどうか、腕と脚、セックスと腋の下、眼と手、鼻と踵のあいだに認められる見かけの同一性が、相互に転位可能なものであるかどうか考えなければならない」とベルメエルは言う。ーー過日銀座でひらかれた展覧会に出品された石版「擦り切れるまで」や銅版「頭足類」にも、この腕と脚、セックスと腋の下との同一性の幻覚が見られた。「エドワルダ夫人」の鼻が、ハイヒールの踵になっていたことも想起される。ヌード写真の上に鏡を直角に立てて、この鏡の位置を少しずつ動かしてみると、写真の面と鏡との交わる一線を軸として、シンメトリックなシャム双生児のようなヌードが、大きくなったり小さくなったり、さまざまに変化する。ヌードはみるみる伸び拡がって、乳房が二つで脚が四本の怪物になったり、逆にみるみる縮まって、脚が二本で乳房が四つの畸形になったりする。ーーこんな秘密めいた遊びも、ベルメエルの好むところであったようだ。」(引用は「澁澤龍彦全集」<河出書房新社>第8巻による。以下同。なお単行本は現在青土社から刊行されている。)
 この展覧会に出された作品から澁澤が受けとったのは、まず第一には「転位可能性」の探究の具象化であり、同時にそれは、ブルトンの言う「美は痙攣的になるだろう」という言葉の具象化でもあった。そしてこの視点から、澁澤はベルメールとビアズレーを次のように比較する。「ビアズレエの線描画が、解剖学的にはかなり杜撰なものでありながら、なおかつ世紀末の頽廃的なエロティシズムの極致を示しているとすれば、はっきり現代を刻印されたベルメエルの線描画は、解剖学に執するあまり非合理の熱狂にまで高まった、はげしい、深い、厳密な二十世紀のエロティシズムの極致を示すものと言えよう。」このエロティシズムの二分は興味深い。
 ただし、いうところの「現代性」がなにに由来するのか、澁澤の文章は必ずしも明確ではない。この点を曖昧にしたまま澁澤は「痙攣する女体の美を表現したこの画家は、真に現代的な、両極性をはらんだ先鋭な自我の持主だった」と叙述をすすめる。あえていえば、「両極性をはらんだ先鋭な自我」をもつことが澁澤にとっての現代性なのかもしれない。それならば、ベルメールは作品のいたるところに刻み込んでいる。
 しかしこの現代性は過去を単純に否定することによってもたらされたのではない。瀧口も指摘するように、ベルメールの人形にはデューラー時代の古い人形からの暗示があるのであり、意味の過剰や有用性の重視を「転位」によってずらそうとするベルメールの戦略は、時代の転位にも及んでいたと考えるべきであろう。
 澁澤はそれをサド侯爵のこだまとして鋭く見抜く。
「とくにわたしを驚かせたのは、その銅版を腐蝕した線の、じつに繊細なタッチであった。この画家もまた、エロティシズムとは繊細の精神であると心得ていた、あのサド侯爵の遠い子孫なのであろう。」
 と同時にこの文章は、澁澤の視点のユニークさをも遺憾なく示す。ベルメールの銅版画のなかで直接目の前に繰り広げられている身体の転位を飛び越え、線のタッチをとおして表現技法そのもののもつエロティシズムに到達する。これこそ、澁澤のエロティシズム論の真骨頂というべきであろう。
 ここでは、澁澤とベルメールが正面から発止と切り結んでいるのである。

【四谷シモンと南天子画廊のベルメール展】 
 四谷シモンもこの展覧会を見ているのだが、展覧会の開催を誰に教えてもらったか、誰と見にいったかなどは覚えていないという。また、この2月には、新宿のジャズ喫茶ピット・インではじめて状況劇場の公演(「時夜無銀髪風人<ジョン・シルバー>」)を見、その楽屋で唐十郎と劇的に出会うのだが、その記憶だけが鮮明で、同じ時期に見ているはずのベルメール展とどちらを先に見たかも不明という。「時夜無銀髪風人」の公演は2月11日、18日、25日の3回であり、これからするとベルメール展を先に見ている蓋然性が強いと思う。「時夜無銀髪風人」の印象があまりにも強烈で、南天子画廊のベルメール展の印象はややかすんでしまったのかもしれない。
 ちなみに、この年の年末に出た「婦人公論」(1968年1月号)に寄稿した「人形とぼくとの共同生活」のなかで、シモンはベルメールについて次のように語っている。
 「この前、ふと、フランスに行きたいな、と思いました。その矢先に、僕の人形に、とてつもない大金を払いたいというお店があらわれました。フランスでは人形に毛を植える精巧な道具を買いたいのと、ハンス・ベルメールという人形つくりに会いたいんです。その人は大きな球体によって接続されている五体を持った人形をつくりました。球体にはヘソと少女の顔があります。ヘソと顔とどちらが上なのか、よくわからないし、それは、どうでもいいことなんだろう。それは写真で見たんです。見たときから僕はコンプレックスのとりこになりっぱなしです。実物を見たいというのが、それ以来の僕の執念だった。でも日本にはない。フランスに行っても、あるのかないのかまだわからないんです。あったとしても、見せてもらえるのかどうか?でも何としても見たいんです。できたら、持主か監視人かの眼をかすめて触ってみたい。関節を動かしてみたい。そうすれば、ハンスの人形にかけられた魔法から解き放たれるかも知れないと思うんです。」
 この文章からは、1965年に雑誌「新婦人」の記事をとおして知ったベルメールの人形と南天子画廊に出展された作品のイメージがストレートに結び付かず、シモンのなかでベルメール像が一人でどんどん動き出しているのも感じられる。

2004・3・9
如月


澁澤龍彦メモワール