澁澤龍彦メモワール
Memoires sur Shibusawa Tatsuhiko, un introducteur au Japon de la culture francaise


 四谷シモンはいろいろな友人にめぐまれましたが、なかでも重要なのはフランス文学者・ 澁澤龍彦(1928年−1987年)との交流です。このコーナーでは、四谷シモンと澁澤龍彦との交流のあとを少し覗いて見ます。


 四谷シモンが澁澤龍彦という名前を知ったのは、もちろん<人形>がきっかけです。
 1965年(昭和40年)、東京・大岡山の古本屋で雑誌「新婦人」を読んでいたシモンは、 あるページにくぎづけになりました。そのページにはドイツのシュールレアリスト、ハンス・ ベルメール(Hans Bellmer,1902年−1975年)の人形が紹介してあったものです。 当時自分がつくっていたぬいぐるみの人形にものたりないものを感じていたシモンは、ベルメール の人形の写真に衝撃を受け、部屋にあった人形や材料すべて捨ててしまいます。
 シモンのベルメール・ショックは、特異なエロティシズムよりもまず、その人形に関節があって 動くということからくるものでした。そのベルメール紹介記事こそ、「女の王国」(のちに「幻想の画廊から」に収める)という タイトルで澁澤龍彦が書いたものだったのです。
 澁澤の記事をちょっと紹介してみましょう。
 「それは幾つかの関節によって繋がった、一種の奇妙な人体模型である。胴体を中心として、 上半身も下半身も脚である。その伸びあがった脚のあいだから覗いている女の首が、 愛くるしい」(引用は「澁澤龍彦全集」<河出書房新社>第8巻による。単行本は現在青土社から刊行されている) 「ハンス・ベルメエルの女の標識は、おそらく、その肉体のスパスム(痙攣)であろう」(同上)
 シモンは、この記事に接するまで澁澤龍彦という文学者の存在をまったく知りませんでした。 澁澤の記事に文字どおり<痙攣>したシモンは、この日から、意識的に澁澤の著作を読むようになります。
 澁澤との実際の出会いは、意外と早くやってきました。
 1967年(昭和42年)正月、友人・金子國義の誘いで北鎌倉の澁澤邸を訪問します。同じ年の5月には状況劇場の楽屋で再会、秋には、金子國義の個展に来場した澁澤に自作の人形の写真を見てもらいます。 当時のシモンは23歳、澁澤39歳でした。
 それからは、状況劇場の舞台、続く人形作家としてデビューなど、さまざまな機会に澁澤との交流 が深まっていきます。
 1973年(昭和48年)、銀座・青木画廊での第1回個展に、澁澤は「未来と過去のイヴ」と題した オマージュを寄せたほか、当時の新聞に次のような談話を語っています。
 「四谷シモンは人形師として文句なく日本の第一人者だと思う。難しい芸術論をぶたないが、 人形を作る感覚は実に鋭敏だ。芸術家というより職人的センスの持ち主に思う。 最近、前衛美術のような毒々しいオブジェ人形が多いが、シモンの人形には古典的な魅力が ふんだんに取り入れられている。「人形愛」という新造語を初めて使ったのは私だと思うが、 シモンの人形には素朴なアミニズム的信仰の影が、出来上がった人形の中に透けて見える。 今度発表した人形はハリウッドの女優のようなグラマーな、セックスにウエートを置いた 人形だが、以前のようなシモンらしい可愛い少女のような人形も見せてもらいたいと思う」 (昭和48年11月25日付「日刊スポーツ」)
 シモンと澁澤の交友は、この後も、1987年(昭和62年)8月の澁澤の死までとぎれることなく続いていきます。その死の意味のあまりの大きさに、シモンはしばらく人形をつくることができなくなるほどでした。

澁澤とシモン(1985年/北鎌倉の澁澤邸にて)
Shibusawa et Simon, 1985


English Chronology

澁澤龍彦と人形のためのガイダンス L'introduction pour "Shibusawa et poupees"

澁澤邸のシモン人形 Des poupees de Simon chez Shibusawa

澁澤龍彦氏から寄せられたオマージュ(自筆原稿) Des autographes de Shibusawa

南天子画廊のベルメール展 L'exposition de Bellmer a Galerie Nantenshi

Short introduction for Simon's lecture on "Shibusawa and dolls" (澁澤龍彦と人形のためのガイダンス英語版)

Shibusawa Tatsuhiko (フランス語による澁澤龍彦略伝)