「人形 POUPEES」展の主要出展者

【先駆者たち】
ハンス・ベルメール Hans Bellmer
1902年〜1975年
ドイツのカトヴィツェ(現在ポーランド領)生まれ。ナチス色の濃くなりつつあるドイツで1933年に最初の人形を制作。34年、第1の人形の写真に序文<人形のテーマのための回想>を付した作品集「人形(Die Puppe)」を自費出版し、フランスのシュールレアリストに高く評価される。35年、デューラー派の作とされる古い人形を参考に、2つの下半身が腹部の関節で結合された2作目の人形を制作。38年、パリに移住。47年、ベルメールの銅版画で装幀されたジョルジュ・バタイユの「眼球譚」刊行。49年、第2の人形の着色写真、絵に序文<球体関節についての覚え書>とポール・エリュアールの詩を付した作品集「人形の遊び」を刊行。53年、ウニカ・チュルンと出会い、翌年から同棲生活開始。57年、エッセー集「イマージュの解剖学」を刊行(種村季弘・瀧口修造共訳の日本語版は75年に河出書房新社から刊行)。58年、ウニカをモデルとした緊縛写真を撮影。60年、パリのシュルレアリスム国際展に宙吊りにされた人形を出展。65年、ベルメールの銅版画で装幀されたジョルジュ・バタイユの「マダム・エドワルダ」刊行。68年、銅版画集「道徳小論」刊行。71年、フランス国立現代美術センターで回顧展開催。75年、パリで死去。没後の83年、パリ、ポンピドー・センターが写真家ベルメール展を開催。この展覧会で写真作品の全貌が明らかになる。
生涯にわたって形象を脱したエロティックで暴力的な作品を発表し続けた。
[参考サイト]
ベルメール:日本への紹介と影響

モートン・バートレット Morton Bartlett
1903年〜1992年
アメリカ、シカゴ生まれ。8歳で両親を亡くす。ハーヴァード大学卒業後、写真家、印刷屋、鉄道などの仕事を転々とした。その死後、古新聞に包まれた15体の人形(3体の少年と12体の少女)が発見される。家庭生活の代償ともいえるこれらの人形は、1935年〜65年にかけてつくられたものと考えられている。

【戦後第一世代】
イザドア・ゼルツァー Isadore Seltzer
1930年、アメリカ、セント・ルイス生まれ。ロサンゼルスで写真を学ぶが、その後はイラストレーター、雑誌のカバー・デザイン、演劇のポスター・デザインなどでマルチに活躍。 最近は人形の写真に興味をもっている。2002−3年、「ニューヨーク・タイムズ」のパリ支局が彼の写真展を開催。ゼルツァーの人形の写真は、捨てられたり、壊された人形をテーマとするものが多い。

サラ・ムーン Sarah Moon
1940年、フランス生まれ。1960年代にファッション・モデルとして活躍し、68年に写真家に転向。「ヴォーグ」「エル」などのモード写真を手がける。82年、写真家としての個展「曖昧な思い出」で国際的に高い評価を得る。80年代以降は、コマーシャル・フィルムの作家としても活躍。

四谷シモン Yotsuya Simon
1944年、東京生まれ。詳しいプロフィールはこちら

ミグェル・アマーテ Miguel Amate
1944年、スペイン生まれ。幼いときに聖ヨハネ祭で燃やすための人形をつくっていたのが創作の出発点となる。60年代にストックホルムで鉄の彫刻を学び、69年にパリに出る。70年代に、絵画、レリーフ、人形の制作をはじめ、ワイルドで暴力的な作風を確立。その人形は、81年、ポンピドゥー・センターはじめ数カ所で展示される。

フランシス・マルシャル Francis Marshall
1946年、フランス生まれ。はじめ木彫を学ぶ。1969年に作風を転換、1970年にぬいぐるみ人形をつくりはじめ、72年からいくつかの展覧会をとおして知られるようになる。彼の作品は、田園での家族生活の閉鎖性を狂的でグロテスクに再現しており、「屑のアートが屑の社会のヴィジョンたり得ている」と評されている。

大島和代 Kazuyo Oshima
1946年、淡路島生まれ。東京芸術大学絵画科卒業。同大学院壁画科卒業。1976年、結婚を機にパリに移住、子育てをしながらメリヤスで人形をつくりはじめる。約25年間に80点の作品を制作、90年代からは自分の娘をモデルにした作品も手がける。胡桃の殻のベッドに横たわる赤ちゃんなど、確実な技法による説得力のある作品をつくり続けている。

ミッシェル・ネジャール Michel Nedjar
1947年、フランス生まれ。家系はユダヤ人で、祖母はシナゴーグののみの市で生地を父は洋服を売っていた。このため自然に人形やその洋服をつくりはじめる。14歳の時にアラン・レネの映画「夜と霧」を見て、ユダヤ人の自覚をもつ。その後、洋服のデザイナーとなるが、1970年〜75年に世界各地を遍歴し、アメリカ先住民の儀式の人形に関心をもつ。76年にパリに戻り、人形をつくりはじめる。

【戦後第二世代】
アルフレート・シュティーフ Alfred Stief
1952年、ドイツのレックリングハウゼン生まれ。左官の仕事をし、生活の大部分を精神分析クリニックで過ごす。これまでに数多くの作品を発表しているが、それらはいずれも単純でプリミティブなもの。代表的な作品に手編みニットによる動物、人間、家などがある。

シンディ・シャーマン Cindy Sherman
1954年、アメリカ・ニュー・ジャージー生まれ。写真家。様々な情景のなかに自分を登場させる写真で評判を呼び、1977年、有名な映画のワン・シーンを思わせる情景に登場する疑似スチール写真集「アンタイトルド・フィルム・スティールズ」シリーズで名声を確立。80年代からは社会問題、92年からはセックスの問題にも取り組んでいる。

オリヴィエ・ルビュファ Olivier Rebufa
1958年、ダカール生まれ。独学で写真を学ぶ。1987年、バービー人形と結婚する自分の写真を撮り始める。1997年、国立写真センターでその作品展が開催される。

ビリー・ボーイ Billy Boy
1960年、ウィーン生まれ。幼少時にアメリカにわたる。5歳頃から人形をつくり出し、ファッション・ドールの収集をはじめる。15歳でファッション界にデビュー。80年から活動拠点をパリに移し、ジュエリー制作を開始。89年に人形制作を開始し、ハイ・ファッション人形「ミドヴァニィ」を発表。
[参考サイト]
タナグラ財団

【註記】
 アル・サン・ピエール美術館の展示は、作家の年代によるものではありませんが、このページではアクセスした人の理解しやすさを考え、作家の年代別に簡単なプロフィールを紹介しています。また、年代による作家の3区分も、当サイト管理者・如月の独自判断によるものです。
 2つの世界大戦にはさまれた時期に活動を開始したハンス・ベルメール、モートン・バートレットの世代にとって、人形の創作とはある意味で禁じられた行為であり、それゆえ、ベルメールは反抗的に公然と、バートレットはひそかに、人形を制作しました。二人とも作品の数は必ずしも多くはありませんが、彼らの創作活動はそれ自体が象徴的な意味をもつものであり、この観点からすれば、作品点数は問題ではないともいえるでしょう。今回のアル・サン・ピエール美術館の展覧会への出展者ではありませんが、これに日本の平田郷陽(1903年〜81年)の作品や活動をいれて考えると対照的であり、日本における人形制作の特殊性がよく理解できると思います。近代日本において、人形制作ははじめから「芸術」であり、高度な技術をともなうものだったのです(平田は1955年に人間国宝に指定される)。いずれにしても彼らは現代創作人形の文字どおりの先駆者であり、その後、次の世代が突き当たらなくてはならない分厚い壁のような存在となっていきました。
 四谷シモンをはじめ、第二次世界大戦中から戦後にかけて生まれた作家たちが、次の世代を構成します。彼らのなかで戦争の記憶はさほど明確ではなく、戦後の混乱期に成長していきます。社会全体がしだいに落ち着きを取り戻していくのとは裏腹に、彼らの多くは、1960年代に作風の深刻な転換期を迎え、そのギャップをバネに、70年代にはいって独自の新しい作品を次々に発表しだします。「日本」という枠組みのなかでみると単に個人的なものに思える四谷シモンの創作活動も、ミグェル・アマーテら今回の展覧会の出展者のプロフィールや作品と比較すると、こうした世界的な動きとぴったり同調しているということができます。四谷シモンの思考のなかで、平田郷陽的なアーティスティックな人形のアンチテーゼとして、静止したポーズから解き放たれたベルメールの関節人形が特別大きな意味をもったというのも、こうしたマクロな観点からみるとよりよく理解できるのではないでしょうか。いずれにしても、四谷シモンと同世代の作家のなかでは、ある種の美学への反発、抵抗が創作活動のエネルギーになっており、彼らによって、それまでの伝統的な規範から解放された独創的な作品が一気に出現します。
 次の世代は、戦争も60年代も直接は知らない作家たちです。彼らのなかには、戦後第一世代にみられたある種の屈折はみられず、規範や方法にとらわれることなく、より自由な発想で創作を行っています。しかし、一見ポップで明るくみえる彼らの作品の背景にあるのは、ぶつかって屈折する対象を失ってしまったという喪失感ではないでしょうか。平明さの陰にどこかしらマニエリスム的な閉塞性が感じられるのも、この新しい世代の作品の特徴ではないかと思います。
2004・2・19
如月

アル・サン・ピエール美術館「人形 POUPEES」展の概要